0−16]、歳取[#二]三二人、姓氏稀僻者[#一]、謂[#二]之色目人[#一]。亦曰[#二]※[#「片+旁」、第4水準2−80−16]花[#一]。
[#ここで字下げ終わり]
とあるのを見ると、外國人で支那の科擧(高等文官試驗)に合格した者が、意外に多かつた樣に思ふ。私が先年學界に紹介した、李彦昇の如きは、大食《タージ》(アラビア)人で、この高等文官試驗に合格して居る。
 此等諸外國人は何れも、世界の大國たる唐に仕官することを非常なる名譽と心得、唐の爲に各自の材能を盡くすといふ有樣故、自然世界の文化の精華は唐に※[#「さんずい+(匯−さんずい)」、第4水準2−79−7]《あつま》る譯である。支那文化は世間に想像されて居る程、しかく孤立的のものでない。唐代の文化の特色は、印度文化とイラン文化が、著しく支那文化に影響した點に在る。此等外來文化の影響を度外視しては、決して唐の文化の眞相を悉くすことが出來ぬ。印度の宗教・藝術・天文・醫藥等が唐に影響したことは、『隋書』の經藉志や、『唐書』の藝文志を見ると、此等關係の印度の書物が、尠からず支那に翻譯されて居る事實に由つても、その大概を察知するに難く
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