の武宗は宰相の李徳裕に詔して、秦・漢以來外國人で支那に支へて、功績顯著なる者三十人を選んで、その傳記を作り、『異域歸忠傳』二卷を編ましめたことがある。この『異域歸忠傳』は元以後に佚亡して、今日に傳らぬから、如何なる標準で三十人と限つたことか、又その三十人は如何なる人々を指すことか、一切不明であるが、その中に唐に仕へた外國人の多かつたことだけは想像に難くない。唐時代に新羅・高麗・百濟・渤海・契丹・突厥・鐵勒・囘※[#「糸+乞」、第3水準1−89−89]・吐蕃を始め、遠くは中央アジア・印度・ペルシア等の國人で、支那の朝廷に奉仕した者が頗る多い。現に我が大師と特別の關係ある、般若三藏の表兄《ははかたのいとこ》の羅好心の如き印度人が、徳宗に仕へて近衞の將軍となつて居る。その約百年前に、高宗に仕へて近衞の將軍になつたペルシア人の阿羅憾がある。外國人の中には、支那人同樣に支那の詩文・經學を修め、支那人同樣に受驗し、正途を踏んで、支那の官吏となつた者もある。北宋の初期に出た錢易の『南部新書』丙に、
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大中(西暦八四七―八五九)以來、禮部放[#レ]※[#「片+旁」、第4水準2−8
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