れて居る程、しかく外國人を毛嫌せぬ。否、公平に觀て、支那人は世界の中で、尤も異種族排斥の偏見を脱却した國民ともいへる。支那人の理想によると、支那の皇帝は天の代理者として四海に君臨すべき筈である。支那の皇帝は、あらゆる種族を一視同仁に取扱ふべき責任をもつて居る。從つて遠人を懷柔し、四夷を咸賓せしむることは、支那皇帝たる者の一の必要な資格とさへ認められた位である。故に歴代の支那政府は、外國の留學生を觀迎して、彼等に種々なる便宜と補助とを與へた。しかのみならず多くの場合、外國人をも自國人同樣、何等の差別なく官吏に任用して居る。
 支那人は古代から楚材晉用――外國の人材を自國の爲に登庸して利用する――主義を實行した。西域人や塞外人で、支那に仕へて大臣・顯官に登つた者は、唐以前にもその實例が尠くない。殊に唐時代には、尤も自由に、尤も多數に、外國人を任用した。我が阿倍仲麻呂(仲滿)や、藤原清河(河清)が、唐の玄宗や肅宗に寵用されたことは、我が國史に喧傳されて居るが、唐の歴史を通覽すると、かかる事例は寧ろ普通であつた。
 『新唐書』の囘鶻(囘※[#「糸+乞」、第3水準1−89−89])傳に據ると、唐
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