故に私はこの二縣志を土臺とし、これに私自身の實驗を加へて、長安の位置を紹介せようと思ふ。
唐代の長安の位置は、大體に於て、今の陝西省關中道の長安縣である。今の長安縣は唐の長安の北寄りの一部に過ぎぬ。唐の長安の大内裏と申すべき場所が、今の長安縣に當る。唐の長安は今の長安縣の東・西・南の三方面に、廣く擴がつて居つた。唐の長安の廣さは、東西十八里百十五歩、南北十五里百七十五歩の長方形をした城壁内に在つた。之を日本の里數に換算すると、ざつと東西二里十七町弱、南北約二里三町に相當するかと思ふ。長安はまた京城ともいふ。京城の中央より北の一區域を皇城といひ、ここが諸官衙の所在地で、我が大内裏に相當する。皇城の北部に宮城がある。この宮城は我が内裏に當つて、實に皇居である。要するに長安は、京城・皇城・宮城の三部から成立して居る。この宮城の正南門の承天門から、皇城の正南門の朱雀門を經て、京城の正南門の明徳門に至るまで、南北を一貫せる大通りがある。之を朱雀大街といふ。その廣さ一百歩といふから、約八十間道路に當り中々廣い。この朱雀大街によつて、長安は左街(東)と右街(西)とに兩分される。左街は即ち我が左京で
前へ
次へ
全70ページ中33ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
桑原 隲蔵 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング