時代には光武帝の故郷である南陽出身の大臣が多い。※[#「登+おおざと」、第3水準1−92−80]禹《トウウ》・李通・岑彭《シンパウ》・呉漢・賈復ら皆それである。沛と南陽と地は異つても、等しく北支那の範圍に屬するのである。
 兩漢時代に北塞南徼の外に偉功を建てた人物も亦北支那の産が多い。張騫・李廣・蘇武・趙充國・甘延壽・傅介子・段會宗・馬援・班超・班勇・梁※[#「りつしんべん+槿のつくり」、読みは「きん」、140−5]など、何れも所謂關西の産である。
 兩漢の學問といへば儒學に限るが、その儒學者中にも南支那人は餘り見當らぬ。經學の傳統をたづねると、易は六家に分れて居るが、施氏易の施讎(沛)、孟氏易の孟喜(東海)、梁丘氏易の梁丘賀(琅邪)、京氏易の京房(東郡)、費氏易の費直《フツチヨク》(東莱)、高氏易の高相(沛)皆北支那人である。書については歐陽氏學の歐陽高(千乘)、大夏侯氏學の夏侯勝(魯)、小夏侯氏學の夏侯建(魯)、古文尚書の孔安國(魯)、詩については魯詩の申公(魯)、齊詩の轅固生《ヱンコセイ》(齊)、韓詩の韓嬰(燕)、毛詩の毛萇《マウチヤウ》(趙)といふ風に、經學に大關係ある學者は皆
前へ 次へ
全18ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
桑原 隲蔵 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング