とを打忘れた樣であるが、我が日本人は終始アジア人たることを忘れなかつたのみでなく、更に自餘のアジア人をしてアジア人たることを自覺せしめた。そは日露戰役が明白に之を立證して居る。

         四

 日露戰役はアジア人にとつては實に破天荒の一大事件であつた。アジアの一小島國たる日本が、その幾十倍もある白人の大強國たる露國と開戰して、見事之を打破つたといふ事實は、全アジア人に、否アジア人以外の有色種族にさへ餘程深大なる感動を與へた。白人東漸以來絶えず、その不法な壓迫を受けながら、到底抵抗は不可能と斷念して居つた黄人が、彼等も努力如何によつては、隨分白人の壓迫から離脱することが出來る。否、更に一歩を進め、白人に對して、痛快なる復讐をも成し遂げ得らるるといふ實例が示されたのである。
 日露開戰の少しく以前から、活動寫眞が次第に世間に持て囃されて來た。日露戰役はこの活動寫眞にとつて好箇の映寫物となつた。日露戰役の當時から爾後三四年間は、この戰役の活動寫眞が、アジア大陸到る處で空前の歡迎を受けた。印度人、ビルマ人、安南人、シャム人、支那人、南洋人等は、何れもこの活動寫眞を見物して年來の溜飮
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