い。支那の學問の中心は經書に在るが、支那の學者は經書の解釋に全力を盡くす。此の如くして通志堂經解とか皇清經解とか續皇清經解とか、經書の解釋は文字通り汗牛充棟の多きに達するが、その經書の眞僞、さてはその製作年代等に就いては、彼等は殆ど研究の手を着けぬ。故に四書五經の中に、その來歴の徹底的に究明されたものは一部もない。支那の學者は畢竟本體の不明な經書の解釋に忙殺されて居るので、行先きを問ひ質さずに驀地《まつしぐら》に驅け出す車夫の態度と同樣である。
車夫はどうでもよい。經學者もまあよい。されど一國の存亡安危を背負ふ支那の政治家も、この著しい缺陷をもつて居るのは、困つたことと申さねばならぬ。しばらく外交方面を見渡しても、支那の政治家は今もその傳統的の以[#レ]夷制[#レ]夷政策を改めぬ。この政策も稀に用ふると小利を博することもあるが、元來が他力本願で之を常用すると大害を招く。そは宋代の歴史が明瞭に教示して居る。宋は女眞(金)の力を手頼《たより》に、契丹(遼)を滅ぼしたのはよいが、それも束の間で宋自身も女眞の爲に支那の北半を占領され、契丹の時よりも一層の壓迫を受けた。蒙古(元)が起り、女眞の
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