論じてゐる。我が國の新聞や雜誌の記者にも、かかる見解を公にした人が尠くなかつた。されど支那の學生が學業を外に國事に奔走(?)したのは、歴史上珍らしいことでない。然も學生の活動は、多くの場合その國家に幸せなかつた。殊に南宋時代の大學生の如きは、無責任な空論を唱へて當路の大臣を苦しめ、當局の怯懦は愈※[#二の字点、1−2−22]彼等を増長させ天下を擧げて學生の世界と化し去り、その状況は民國以來の有樣を髣髴たらしむるものがあつた。猾智に長ぜる宋末の宰相の賈似道は、奇貨利用すべしとて、學生を籠絡してその位置を固め、籠絡された學生は賈似道を謳歌して遂に宋祚を滅亡の淵に陷れた。當時の落首ともいふべき、
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※[#「鼓/卑」、第4水準2−94−67]鼓驚[#レ]天動[#レ]地來。九州赤子哭哀哀。廟堂不[#レ]問平[#レ]戎策。多把[#二]金錢[#一]媚[#二]秀才[#一]。
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の一詩が、雄辯に之を證明して居る。
 近時の支那學生の妄動をヂュウェー博士の如く、新に目覺めた支那青年の愛國的精神の發露と解すべきか、將た又支那に古來有勝な學生(處士)の横議の一例、
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