從つて淺慮と盲信とに滿てる支那人の團體的行動の一例と解すべきか。その何れが正當な解釋であるかは一の疑問と思ふ。
七
支那の軍隊も古今を通じての厄介物である。それでも漢時代には、胡兵五而當[#二]漢兵一[#一]など稱せられて、支那の兵士も相當勇敢で素質も好かつた。唐の中世に兵農分離して、兵士を雇募することになつて以來、その素質は日一日と低下して、「遂に好鐵不[#レ]打[#レ]釘。好人不[#レ]當[#レ]兵」――滿足な人間は軍隊に入るべきでないとの意味――とか「鐵到[#二]了釘[#一]。人到[#二]了兵[#一]」――零落の眞底に陷る意味――とかいふ諺まで出來、兵士といへば人間としての最劣等の屑物を意味するに至つた。北宋の歐陽脩は當時の軍隊に就いて、「不[#レ]足[#三]以威[#二]於外[#一]。而敢驕[#二]於内[#一]」――外寇を防ぐことが出來ぬ弱い軍隊、されど國民だけを虐げることが出來る強い軍隊――と嘆息して居るが、その嘆息はその儘民國今日の軍隊に適用することが出來る。いかにも民國の軍隊は裝甲タンクをも使へば、飛行機をも用ゐて居る。その隊制や武器からいへば、立派
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