o[#二]其妾[#一]。對[#二]三軍[#一]殺[#レ]之。以饗[#二]軍士[#一]曰。諸公爲[#二]國家[#一]。戮[#レ]力守[#レ]城。一[#レ]心無[#レ]二。經[#レ]年乏[#レ]食。忠義不[#レ]衰。巡不[#レ]能[#下]自割[#二]肌膚[#一]。以啖[#中]將士[#上]。豈可[#下]惜[#二]此婦人[#一]。坐視[#中]危迫[#上]。將士皆泣下。不[#レ]忍[#レ]食。巡強令[#レ]食[#レ]之。{許遠初殺[#二]奴僮[#一]。以哺[#レ]卒}。乃括[#二]城中婦人[#一]。既盡。以[#二]男夫老小[#一]繼[#レ]之。所[#レ]食人口二三萬。人心終不[#二]離變[#一]。
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精忠義烈な張巡の後に、かかる悲慘な陰翳が伴うて居る。心ある支那人の中には、早く當時から張巡の不慈を非難した者も絶無ではないが(李肇の『唐國史補』卷上の李翰論張巡の條參看)、一般の支那人は、かかる所行を格別不人情とは認めぬやうである。
唐末から五代にかけて、城守の際に、人肉食用の蠻行が頻發したことは、さきに紹介した『資治通鑑』の(5)[#「(5)」は縦中横](7)[#「(7)」は縦中横](11)[#「(11)」は縦中横](12)[#「(12)」は縦中横](13)[#「(13)」は縦中横](14)[#「(14)」は縦中横](16)[#「(16)」は縦中横]等の記事に據つて疑ふ餘地がない。五代の趙思綰は、食人鬼として著聞して居るが、彼が長安で後漢の攻圍を受けた時の光景を、『資治通鑑』には、
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趙思綰好食[#二]人肝[#一]。嘗面剖而膾[#レ]之。膾盡人猶未[#レ]死。又好以[#レ]酒呑[#二]人膽[#一]。謂[#レ]人曰。呑[#レ]此千枚。則膽無[#レ]敵矣。及[#二]長安城中食盡[#一]。取[#二]婦女幼稚[#一]爲[#二]軍糧[#一]。日計[#レ]數而給[#レ]之。毎[#レ]犒[#レ]軍。輙屠[#二]數百人[#一]。如[#二]羊豕法[#一](後漢紀三、乾祐二年の條)。
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と記し、『五代史記』卷五十三の趙思綰傳には、
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{長安}城中食盡。{趙思綰}殺[#レ]人而食。毎[#二]犒宴[#一]。殺[#二]人數百[#一]。庖宰一如[#二]羊豕[#一]。思綰取[#二]其膽[#一]。以[#レ]酒呑[#
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