黶n而食。亦多[#下]流[#二]入土司[#一]者[#上]。死亡滿[#レ]路。屍纔倒[#レ]地。即爲[#二]人割去[#一]。雖[#レ]斬[#レ]之不[#レ]可[#レ]止。……成都食[#レ]人尤甚。強者聚[#二]衆數百[#一]。掠[#レ]人而食。若[#レ]屠[#二]羊豕[#一]然。綿州大學士劉宇亮少子。亦爲[#二]強盜所[#一レ]食。……男子肉毎斤七錢。女子肉毎斤八錢。塚中枯骨。皆掘出爲[#レ]屑以食焉。
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         六

 支那の雜劇、稗史、小説等のうちにも、人肉食用の記事の尠からざることは、有名なフランスの Bazin が夙に注意して居る(Chine Moderne. pp. 460, 461)。此等の記事を、その儘に事實として受取り難くとも、かかる記事の存在その者を、支那人間に Cannibalism の行はれた、一旁證と認めて差支あるまい。吾が輩はこの方面の智識誠に貧弱であるが、その貧弱な智識の中から二三の例を左に紹介する。
 元曲中に「趙禮讓肥」がある。王莽の末年に於ける天下騷亂の際に、趙孝、趙禮といふ二人の兄弟が、亂を宜秋山下に避けて、母親に孝養を盡して居つた。所が一日弟の趙禮が、馬武といふ盜賊の頭目の手に捕獲された。馬武は彼自身、
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某今在[#二]這宜秋山虎頭寨[#一]。落草《ミヲオトシテ》爲[#レ]寇。也《マタ》是不[#レ]得[#レ]已而爲[#レ]之。毎[#二]一日[#一]要[#レ]喫[#二]一副人心肝[#一]。今日拿[#二]住一頭牛[#一]。欲[#レ]待[#レ]殺[#二]壞他[#一]。
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と告白して居る通り、この趙禮を料理して食に充てんとした。弟の不運を聞き知つた趙孝は、早速馬武の營下に到つて、弟の身代りに立たんことを哀求した。かくて馬武の面前で、趙孝、趙禮の兄弟が、身の肥痩を競ひ死を爭うた。さしも鐵心腸の馬武も、二人の友情に感動して、之を放免した。やがて東漢一統の世となると、馬武は用ひられて天下兵馬大元帥となり、彼の推擧で趙孝趙禮兄弟も、それぞれ出世するといふのが、この劇の筋書である(『元曲選』第二十九册參看)。この趙孝趙禮の墓は、今も直隷省昌平縣の西北の賢莊口にあるといふ(『光緒昌平州志』卷十)。趙孝趙禮の事蹟は『後漢書』に、
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及[#二]天下亂[
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