版の英譯の方が、我が學界に普及して居るであらうといふ斟酌もあり、旁※[#二の字点、1−2−22]本論文中に引用せる Renaudot 譯は、すべて東京版の英譯の頁數を指示することにした。尚ほ東洋文庫から以上の外、三四の著者、雜誌、論文の融通を受け、尠からざる裨益を得た。茲に附記して感謝の意を表する。
[#ここで字下げ終わり]
 (二)[#「(二)」は縦中横] 西暦一八四五年に、フランスの有名なるアラブ學者の Reinaud が、アラブ語の原本に添へて、新にその佛譯を公にした。〔Relation des Voyages faits par les Arabes et les Persans dans l'Inde et a` la Chine dans le IXe[#「e」は上付き小文字] sie`cle de l'e`re chre`tienne〕 が、この新佛譯の表題である。Reinaud はこの物語の序論として、中世に於けるアラブ人の東洋貿易界に於ける活躍の歴史を附し、又その本文に對して尠からざる註解を施した。
 (三)[#「(三)」は縦中横] 一昨年(西暦一九二二)の末に、同じくフランスの Ferrand 氏が、『東洋古典叢書』(Les Classiques de l'Orient)の第七卷として、新にこの物語の佛譯を公にした。表紙には單に 〔Voyage du Marchand Arabe Solayman en Inde et en Chine re'dige' en 851〕 と題してあるが、その内容は Renaudot や Reinaud のそれと同樣で、前篇は Solayman 後篇は 〔Abu^ Zayd〕 の記録を收めてある。
『印度支那物語』はしかく早くしかく廣く、學界に紹介されたに拘らず、その内容は未だ十分に研究されて居らぬと思ふ。尠くともこの物語中に紹介されてある、支那人の風俗、習慣等に關しては、從來何等權威ある研究が發表されて居らぬ。Renaudot や Reinaud の古き註解がこの點に就いて不十分なることは、特に言明する迄もない。
 吾が輩はこの缺陷を遺憾に思ひ、最近四五年來、アラビアと支那との交通を研究すると共に、この物語中に見えて居る支那人の風俗、習慣の研究にも手を着けた。研究の方針として吾が輩は、
 (1)[#「(1)」は縦中横
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