。實際支那人は口喧しいが、決して手出しはせぬ。吾が輩の支那留學中、殊に北支那留學中には、殆ど支那人の掴み合を見たことがない。非常な權幕で口論する場合でも、手出しはせぬ。稀に掴み合を始めても、我々日本人から見ると、極めて悠長なもので、傍で見て居ても齒癢さに堪へぬ程である。
 掴み合すらせぬ支那人が、戰爭で血を流すことを好まぬのは當然である。支那の武といふ字は、止戈の二字から成立した會意文字である。故に武とは武器(戈)を用ふるのではなく、武器を用ゐぬことである。亂暴者が凶器を振り舞はすのを差抑へるのが、武の本意である。『左傳』に武の意義を解釋して、武禁[#レ]暴|※[#「(楫−木)+戈」、第3水準1−84−66]《ヲサム》[#レ]兵とあるのがそれである。『易』に神武不殺と申して居る。武の神髓は不殺に在る。みだりに人を殺害する者は武とはいへぬ。
 支那では唐時代から武廟といふものが出來た。之は孔子の文廟に對して、周の太公望といふ軍師を本尊として、軍の神と崇めたもので、歴代の名將をもここに從祀してある。所が北宋の太祖が曾て武廟に詣り、そこに從祀してあつた秦の白起を指して、この人は降卒數十萬を坑
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