者が支那に多い。西漢の末に出た王莽といふ大惡人は、漢の天下を簒奪する爲に、萬事昔の周公といふ聖人の言行を模倣する。周公は一飯に三たび哺を吐き、一沐に三たび髮を握つて、天下の士を待つたといふから、王莽も恭謙天下の士に下つた。當時の人は何れも王莽を周公の再來と信じ、四十八萬七千五百七十二人の多數の人士が上書して、王莽に特別の恩賞と待遇を加へんことを出願して居る。かくて王莽は天下の人望の己に歸するのを待つて、時の天子の平帝を毒害した。昔武王が病氣の時、周公が武王の延命を天に祷つたことが、『書經』に載せてあるので、王莽は早速その眞似をやり、自分の毒害した平帝の爲め、身を以て之に代らんことを天に祷るなどの狂言をやつて居る。『春秋』は魯の哀公の十四年を以て終つて居るから、漢も哀帝の即位後十四年目に終るべき筈など言ひ振らして、遂に樂々と漢の天下を簒ひ、代つて天子の位に即いた。王莽は引[#レ]經文[#レ]奸とて、一言一行經書や聖人に託して、大惡をなし遂げたのである。〔王莽はその死後に於てこそ、逆臣元凶として指彈※[#「にんべん+繆のつくり」、第4水準2−1−85]辱されたけれど、その生前に引[#レ]經
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