に就いて面白い事實がある。梁の武帝時代に、領内の州を整理した所、從來中央政府の帳簿によると、百七州あるべきものが、實際調査すると、八十二州しかない。その餘の二十餘州の所在が判明せぬ。併し舊帳簿に登録してあるからといふので、所在不明の二十餘州を削除せずに、本の儘に百七州としたといふ。領内の行政區の所在不明といふのも支那式だが、更にその所在の判明せぬ州をその儘に、保存繼承した點が面白いでないか。これが支那人氣質である。〕
去る光緒二十六年の十二月(明治三十四年一月)に、西太后が陝西の西安府の行在で發布した、變法自強の上諭の中に、禍[#二]天下[#一]者、在[#二]一例字[#一]とある通り、先例に拘執繋縛されて、支那人は如何程その國運の進歩を阻害したか知れぬ。支那人は古人以外に一機軸を出して、即ち自分で先例を作り出すことを、自[#レ]我始[#レ]古とか、自[#レ]我作[#レ]故《フルキコト》とか稱するが、その始[#レ]古といひ、作[#レ]故といふ字句の間にも、明に彼等の尚古思想が見《あら》はれて居る。
古人や先例に託すれば、支那人は容易に得心するから、この弱點を利用して、惡事をなし遂げる
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