年程以前に、西漢の孝武帝の時代に、匈奴征伐に苦心したことがあるが、その時齊人の延年といふ者が上奏して、黄河の流を北に移し、匈奴と中國との國境を經て、東海に注がしめたならば、一は以て中國の水災を避くべく、一は以て水軍に不得手な匈奴の侵入を防止し得べく、誠に一擧兩得の良策であると申出でたが、豪傑でも孝武帝は矢張り支那人である。
[#ここから2字下げ]
〔黄〕河|廼《スナハチ》大禹之所[#レ]道也。聖人作[#レ]事、爲[#二]萬世功[#一]、通[#二]於神明[#一]。恐難[#二]更改[#一]。
[#ここで字下げ終わり]
と申し、即ち聖人の禹が定めた黄河の水道を移し改めることは、吾々にて出來る筈がないとて、遂に採用を見合せた。採用せなかつたことの可否は別として、採用せぬ理由が可笑ではないか。
〔孝武帝より約百年後の孝成帝時代に、黄河の氾濫を防止すべく、※[#「こざとへん+是」、第3水準1−93−60]防修築の議が起つた時、
[#ここから2字下げ]
按[#二]經義[#一]。治[#レ]水有[#二]決[#レ]河深[#一レ]川。而無[#二]※[#「こざとへん+是」、第3水準1−93−60]防壅塞之文
前へ
次へ
全38ページ中22ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
桑原 隲蔵 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング