二の天性となつたのである。
(三)[#「(三)」は縦中横]支那人の間に久しく偉大なる勢力を有して居つた儒教そのものが、保守尚古的である。孔子も述而不[#レ]作、信而好[#レ]古というて居る。彼は要するに先王の祖述者で、古代の謳歌者である。尤も孔子は温[#レ]故而知[#レ]新、可[#二]以爲[#一][#レ]師矣というて、古を好むと同時に、現在に對する用意を忽にせぬから、保守主義一方の人ではないが、併しその末學になると、多く保守思想に囚はれて居ることは、爭はれぬ事實である。孟子の如きは、
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遵[#二]先王之法[#一]而|過《アヤマツ》者、未[#二]之有[#一]也。(中略)故曰爲[#レ]高必因[#二]丘陵[#一]。爲[#レ]下必因[#二]川澤[#一]。爲[#レ]政不[#レ]因[#二]先王之道[#一]。可[#レ]謂[#レ]智乎。
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というて居る。兔に角『孟子』七篇の中には、保守尚古の氣分が充滿して居る。
儒教のみでなく、支那に起つた諸學説は、概して保守主義に傾いて居る。莊子が當時の學者を評して、尊[#レ]古而卑[#レ]今、學者之流也と申して居る
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