間に、アジア人が歐州に侵入して、隨分白人を壓迫した事實はある。西暦五世紀には匈奴の侵入があつた。十三世紀には蒙古の侵入があつた。十五世紀からはトルコの侵略も始まつた。併し此等の殺伐な塞外種族と、文弱なる支那人とを同一視するのは、確に間違であらうと思ふ。
〔近く百年間の歴史を見渡すと、支那は隨分諸外國相手に交戰して居る。若し義和團の亂に關する北清事件を加へると、殆ど世界の列強のすべてと交戰して居る。されど此等の交戰は、多くの場合、支那にとつて不本意の交戰であつた。支那人の立場から觀ると、これらの戰爭は諸外國から押賣されたものである。去る明治四十年にオランダで開かれた第二囘萬國平和會議で、戰鬪開始の時期が問題となり、或は通告を要すといひ、或は通告を要せずといひ、彼此議論を鬪はした時、列席の支那委員は、戰鬪開始に先だつて通告するのはよいが、相手がその通告に應ぜざる場合は如何にすべきか。我が支那の如きは、何等戰鬪の意思なきに、屡※[#二の字点、1−2−22]諸外國から戰鬪を押賣された。今後も他國から戰鬪開始の通告を受けても、我が國では容易に之に應ぜぬ積りであるから、この場合の規定が必要である
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