時代から諸外國人の間に知れ渡つて居る。元時代に支那に十數年間滯在したイタリーのマルコ・ポーロは、
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蠻子《マンジ》(南支那人)が若し侵略的種族であつたら、彼等は優に全世界を征服し得るほどの多人數である。されど讀者は杞憂することを要せぬ。此等の蠻子は何れも缺點なき商人、又は怜悧なる職工たるに適するのみで、兵士たるべき資格は全然具備して居らぬ。
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と申して〔居り、また清初に支那に布教したスペインのナヴァレットも、
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支那人は學問を修め、商業を營み、美術骨董品を作るには適當であるが、戰爭をなし得る柄でない。
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と述べて〕居る。
この點から考へると、日清戰役前後から始まり出し、日露戰役によつて一層流行し、今日猶ほ世界の一大問題となつて居る所謂黄禍論――黄人種が行く行く白人種を壓倒すべしといふ議論――は、頗るその根據を失ふ譯である。勿論黄禍論は可なり複雜であるが、若し黄禍論を戰爭の方面のみに限り、また黄禍の主人公を支那人のみに限つて考へるならば、確に荒誕不稽の論と斷言し得るのである。成る程過去千五百年の
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