て唐軍は遼東の諸城を陷れて、愈※[#二の字点、1−2−22]高麗の都城の平壤に押寄せるといふことになつた。所がその途中に安市城がある。この城は今の奉天省の蓋平縣の東北に在つて、中々要害堅固に構へてある。そこで太宗は李勣に向ひ、安市城は地險にして兵強く、殊に城主は智略凡ならずと聞く。この城こそ孫子の兵法に謂ふ所の、城有[#レ]所[#レ]不[#レ]攻といふものに當る。この城には押への兵を置き、直に前進して根本の平壤を擣かんと申されたが、李勣は之に反對して、安市城をその儘にしては、軍威を損すること夥しい。この要害な安市城を攻め落せば、他は戰はずして風靡せんとて、是非安市城攻撃を主張したから、太宗は不安心ながらも、總大將の面目を立てる爲、
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以[#レ]公(李勣)爲[#レ]將。安得[#レ]不[#レ]用[#二]公策[#一]。勿[#レ]誤[#二]吾事[#一]。
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とて強いては爭はずに、李勣の意見に從つた。かくて安市城攻撃の全責任は、李勣の雙肩に懸つた。李勣は士卒を悉くして、安市城を攻め立てたけれど、三ヶ月に及んで城は拔けぬ。その中に雪は降り出す、糧は乏し
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