等の人々から怨を受けぬのみか、却つて心服されて居つた。それは彼に暖い涙があつたからである。彼は第一囘の北伐の時に、大將の馬謖《バショク》が彼の指揮に違背して敗軍した罪を正すべく、之を誅戮した。馬謖は孔明の尤も親愛した軍人で、馬謖自身も明公(孔明)視[#レ]謖猶[#レ]子、謖視[#二]明公[#一]猶[#レ]父と申して居る。眞に父子同樣の間柄であつた。併し法の前には私情を容れぬ。孔明は馬謖の罪を正した後ち、泣いてその靈を祭り、又よくその遺族を保護した。
 孔明は又廖立といふ官吏を罪して、身分を平民に下げて、遠隔の地へ流謫した。又李平といふ兵糧方の總大將の不都合を責めて、この人をも流謫した。この二人は孔明の死を聞いて、何れも悲泣し、殊に李平の如きは、悲嘆の餘り、遂に病を發して死んだと傳へられて居る。此の如きは畢竟孔明の所置に一點の私心がなく、罰せられた者も得心して、罪に服したからである。
 『孟子』の盡心章上に、「以[#二]佚道[#一]使[#レ]民。雖[#レ]勞不[#レ]怨。以[#二]生道[#一]殺[#レ]人。雖[#レ]死不[#レ]怨[#二]殺者[#一]」と述べて居るが、その道理を事實の上で
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