。今少しく彼に年を假さばとは、誰人にも起る同情である。
一體魏を征伐することは、可なり困難な事業であつた。當時魏の口數は四百五十萬、蜀の口數は九十萬で、蜀の魏を伐つのは、兵力・資力五倍以上の敵を相手とする譯である。當時から痛く孔明の計畫に反對した人もあつた。孔明自身もよくその困難を承知して居つた。故に彼の後出師表に、
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漢賊不[#二]兩立[#一]。王業不[#二]偏安[#一]。……然不[#レ]伐[#レ]賊。王業亦亡。惟坐待[#レ]亡。孰[#二]與伐[#一レ]之。……臣受[#レ]命之日。寢不[#レ]安[#レ]席。食不[#レ]甘[#レ]味。思[#二]惟北征[#一]。……臣鞠躬盡[#レ]力。死而後已。至[#二]於成敗利鈍[#一]。非[#三]臣之明。所[#二]能逆覩[#一]也。
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と述べて居る。然らば何が故にその困難を冒して北征を續けたか。それには強い理由がある。漢は東西を通じて、天下に君臨すること四百年に達し、その餘澤は深く人心に浸潤して居る。劉備は漢の疎屬として、世人の彼に漢の再興を期待するもの多く、劉備も亦漢の再興を標榜した。故に漢祚を簒奪し
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