た魏を征伐することは、劉備にとつて第一の義務で、又蜀の存在の第一義であらねばならぬ。若し北伐を中止したならば、蜀の存在が無意義となる。殊に孔明の立場からいふと、劉備が辭世の際に、懇々彼に漢業囘復を依囑し、この目的を遂行の爲には、劉禪を廢しても差支へないとまで極言して居る。孔明としては道理からいうても、私情からいうても、一日も北伐を忘るべきでない。魏を征伐することは、成敗利害を超越した大問題である。成敗を度外視して、一直線に道理に殉じ、義務を果したといふ所に、孔明の尊い人格が露はれて居る。曾子の所謂「自反而|縮《ナホクバ》。雖[#二]千萬人[#一]吾往矣」とはこれである。
 孔明の生涯の中で、私の尤も感激に堪へぬのは、その草廬三顧の時でなく、呉に使して孫權を説服した時でなく、又南蠻を征伐して、孟獲を七擒七縱した時でなく、實に成敗を度外に北伐を實行して、義務に殉じた時に在る。若し眼前の小利小康からいへば、蜀の險阻を守つて、北伐などを企てぬ方が得策かも知れぬ。併し此の如きは所謂瓦全で、蜀の自殺に外ならぬ。かくては決して天下後世の同情を買ふ事が出來ぬ。後世まで蜀に同情者の多い所以は、利害を離れ
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