bu^ Muslim〕 は當時 〔Khora^sa^n〕(『唐書』の呼羅珊《ホラサン》)地方の總督であつたが、野心滿々たる彼は、大支那の威力を摧くは是時こそと、直に部將 〔Ziya^d ibn Sa^lih〕 を派遣して石國を助けることとなつた。之に對して高仙芝は天寶十載(西暦七五一)に葛邏禄《カルルク》(Karluk)、拔汗那《フエルガナ》(〔Fergha^na〕)以下諸國の援兵を併せて、怛羅斯《タラス》川(今の中央アジアの 〔Tara^z〕 川)の附近に大食《タージ》を撃つたが、反つて 〔Ziya^d ibn Sa^lih〕 の爲に大敗を蒙つた。この時の戰況は、支那方面の材料では『資治通鑑』が尤も詳細で、次の如く記載してある。
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高仙芝(中略)撃[#二]大食[#一]。深入七百餘里。至[#二]恒羅斯城[#一]。與[#二]大食[#一]相持五日。葛羅禄《カルルク》部衆叛。與[#二]大食[#一]夾[#二]攻唐軍[#一]。仙芝大敗。士卒死亡略盡。所[#レ]餘纔數千人。右威衞將軍李嗣業。勸[#二]仙芝[#一]宵遁。道路阻隘。拔汗那《フエルガナ》部衆在[#レ]前。人畜塞[#
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