安西四鎭の節度使の高仙芝が、或る事情の下に石國を征伐した。高仙芝はもと高麗人で唐に仕へ、當時に聞えた名將であつたが、僞つて石國王に和を許しながら、其不意を襲うて之を擒にし、大虐殺、大掠奪をやつたのみならず、石國王を遠く都の長安に送つて、闕下に切り捨てた。この不埒《ふらち》の行爲に石國の王子は非常に憤慨いたし、四隣の諸胡國も之に同情を寄せ、相倶に大食《タージ》國の援兵を乞うて、唐軍に復仇せん計畫をした。
 この時|大食《タージ》國(多氏國又は大寔國)即ちマホメット教國では Ommeya 王家已に倒れて、〔Abba^s〕 王家が方に興つて來て居る。この大革命の舞臺に立つて、尤も主要なる役目を務めたのは、有名な 〔Abu^ Muslim〕 即ち『唐書』の竝波悉林《アブムスリム》その人である。彼は 〔Abba^s〕 王家の 〔Abul Abba^s〕(『唐書』の阿蒲羅拔《アブルアバス》)を擁して Ommeya 王家の王 〔Merwa^n〕(『唐書』の末換《メルワン》)を殺したのは、西暦七百五十年に當る。かくて所謂黒衣大食が白衣大食に代つて間もなく、石國以下の諸胡國との交渉が開始された。
 〔A
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