ると、方以智等の説に可なりの根據が出來、從つて蔡倫はただ製紙の新原料を發見したのみで、製紙の方法を發明したものでなく、發明者としての蔡倫の聲價は幾分低落すべきこととなるが、たとひ蔡倫以前に絮を製紙の原料として、今日の樣な紙を作つたことを事實としても、植物纖維を製紙の原料に利用したのは蔡倫の功で、植物纖維を原料として使つた紙、例せば麻紙、穀紙、襤褸紙、Rag−Paper などが古今を通じて、尤も人文の發達に貢獻したのであるから蔡倫の功績はやはり廣大無邊といはねばならぬ。斯には兔角の議論を避け、しばらく『後漢書』の記事を素直に解釋して、蔡倫を製紙の發明者として置かう。

         三

 支那の製紙法がマホメット教國へ傳つたのは、唐の玄宗時代のことである。當時西域に石國といふのがあつた。今の Tashkend(元時代の塔什元《タシユケンド》)が即ち唐代の石國である。Tashkend といふ名自身がトルコ語で石國の意味である。西暦八世紀の初頃から、石國を始め其附近の諸胡國は、或時は唐に或時は大食《タージ》に、國威の盛なる方に羈縻《きび》される姿となつた。玄宗の天寶九載(西暦七五〇)に
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