革+建」、76−14]の紙は世界無比と賞讚して居る(25[#「25」は縦中横])。
〔Abba^s〕 家第五のカリフ 〔Ha^run al Rashi^d〕(『唐書』の訶論《ハルン》)の時、呼羅珊《ホラサン》の總督 Al Fazl 始めて薩末※[#「革+建」、76−15]の製紙業をマホメット教國の首都 Baghdad(『唐書』の縛達《バグダツト》)に傳へ、囘暦百七十八年(西暦七九四―七九五)ここに新に製紙工場を建てた。引き續きてペルシア、アラビア、エヂプト、シリア、スペイン等當時マホメット教の勢力範圍であつた國々に、至る處製紙工場が建設せられ、製紙業の隆興と共にカヤツリ紙や革紙の需要は減じ、西暦十世紀の半頃となると、マホメット教國では殆どカヤツリ紙の使用を絶つに至つた。
ヨーロッパ諸國も西暦十二三世紀の頃迄は西方アジアと同樣で、普通にカヤツリ紙や革紙を書寫の材料としたが(26[#「26」は縦中横])、マホメット教國に製紙業が隆興するに從ひ、その製紙はヨーロッパ諸國へ輸入された。フランス、イタリー等の南歐諸國は十二世紀の頃から、ドイツはやや後くれて何れもマホメット教徒から紙の製造を傳
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