』の著者によると、紙は戰爭の捕虜によつて、支那から薩末※[#「革+建」、76−6]へ傳へられたもので、かく支那人を捕虜となし、その捕虜の中より經驗ある者を求めて、製紙業に從事せしめたのは 〔Sa^lih〕 の子なる 〔Ziya^d〕 其人である。かくて紙の製造は次第に發達し、遂に薩末※[#「革+建」、76−8]の重要なる産物となつた。又之によつて世界の國々の人類に利益を與へた(23[#「23」は縦中横])。
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一體支那紙は後くも囘暦三十年(西暦六五〇―六五一)の頃からマホメット教國へ輸入されて居る(24[#「24」は縦中横])。さきに製紙法傳來の年代に關する一説として紹介した Casiri 氏の説は實は、支那紙輸入の年代と見るべきものであらう。薩末※[#「革+建」、76−11]の製紙業が發達すると共に、マホメット教國への支那紙の輸入は次第に杜絶せられ、薩末※[#「革+建」、76−12]製の紙を以てその需要を充たすこととなり、薩末※[#「革+建」、76−13]は紙の産地として全マホメット教國に聞えた。西暦十世紀の初に出た Ibn Haukal なども薩末※[#「
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