2]の計畫指圖に由つたものと傳へられて居る。その晩年に蒲壽※[#「宀/成」、第4水準2−8−2]は世間の批判を憚り、泉州府城東南郊外の法石山に隱居して、風月に身を託したといふ。
その他蒲壽庚の一族としては『※[#「門<虫」、第3水準1−93−49]書』に據ると、彼の長子に蒲師文と申す者があつて、始終父の股肱として活動したが、人物が暴悍であつた故か、餘り出世をせずに身を終つた樣である。又『八※[#「門<虫」、第3水準1−93−49]通志』卷の三十に據ると、元の世祖の末年に、福建行省の參知政事(從二品)となつた蒲師武といふ者がある。その年代及び姓名から推すと、彼は蒲壽庚の子で、蒲師文の弟に相違あるまい。
宋末元初の周密の『癸辛雜識』を見ると、泉南在住の巨賈に、南蕃人佛蓮と申す者があつて、蒲氏の壻となり、盛んに海外貿易を經營したが、死後嗣子なき爲に、政府がその遺産を沒收したことを記してある。單に蒲氏とあるのみでは、勿論斷言は出來ぬが、或は蒲壽庚の一家であるまいかと想像すべき餘地がないでもない。
『八※[#「門<虫」、第3水準1−93−49]通志』の卷二十七に擧ると、元の晉宗の泰定年間(西
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