、唐宋時代から、否その以前から支那と南海諸國間との通商は盛んに行はれて居つた。殊に宋一代を通じて、外國貿易は一層隆盛を極めた。當時支那政府はこの外國貿易によつて、大體二重の利得を收めることが出來た。一は關税の收入で、之は時代によつて相違はあるが、普通輸入品の一割二割位を政府に收めるのである。一はこの關税收入以外に、宋時代から、或種の外國輸入品は一旦政府に買ひ上げ、而して後ち相當の利益を取つて民間に拂ひ下げることで、即ち政府が或種の外國輸入品の獨占權を握り、之によつて多大の利得を收めた。兔に角南宋時代には、外國貿易が政府の重要なる歳入の一とみなされて居つた。
されば元の世祖が宋を滅ぼして江南を平定すると殆んど同時に、この收益多き外國貿易に着眼したのは、無理ならぬ次第である。世祖はこの目的を遂行する爲には、久しく外國貿易のことを管理して、尤も斯道に通曉して居る蒲壽庚の助力を借らねばならぬ。『元史』の世祖本紀を見ると、至元十五(西暦一二七八)年八月に、世祖は蒲壽庚等に命じて、海外諸國に成るべく從前の通り、支那沿海へ貿易に出掛け來るべく、勸諭の使者を派遣することにした。その直接又は間接の結果
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