の宗室が多く茲に住んで居る。此等趙氏の一族の者は、何れも宋室の恢復に心を傾けたこと勿論である。蒲壽庚は一擧にして、泉州在住の宋の宗族を鏖殺して内顧の憂を絶ち、專心に泉州を固守した。張世傑は泉州を圍むこと三ヶ月に亙つて城が拔けぬ。やがて蒲壽庚の請に應じて、蒙古軍の來援すると共に、宋軍は復た廣東方面に退却した。この後約一年半を經て、至元十六年(西暦一二七九)の二月に、張世傑を頭目とせる宋軍は、幼主祥興帝と共に崖山で覆滅して、宋祀は全く絶え、元が天下を統一することとなつた。
兔に角元の東南平定には、蒲壽庚の力預つて多きに居る。故に元の朝廷も最初より彼を厚遇した。先づ昭勇大將軍(正三品)を授け、※[#「門<虫」、第3水準1−93−49]廣大都督兵馬招討使に任じ、ついで江西行省の參知政事(從二品)となし、至元十五年(西暦一二七八)の八月には、福建行省の中書左丞(正二品)に登庸して居る。
五 蒲壽庚の事歴(下) 蒲壽庚の一族
蒲壽庚はただに元の爲に東南平定の大功を建てたのみでなく、彼は更に南海諸國を招懷して、此等諸國と元との間に互市を開くべく、若干の貢獻を致して居る。
已に述べた如く
前へ
次へ
全30ページ中24ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
桑原 隲蔵 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング