も廣州で豪華を極めた蒲姓も、その後久しからずして、家運傾いたといふことである。蒲壽庚の父の蒲開宗の時、廣州から始めて泉州に移住したのは、或は廣州に於ける蒲姓の衰運と關係ある樣に想像される。
四 蒲壽庚の事歴(上)
蒲壽庚の一家は、その父蒲開宗の時代に、廣州から泉州に移住したが、最初の間は左程豐かな生活を營んだものと想像出來ぬ。所が蒲壽庚の時代に南海名物の海賊が、泉州を襲うて掠奪をやつたことがある。大膽なる蒲壽庚はその兄の蒲壽※[#「宀/成」、第4水準2−8−2]と協力し、支那官憲を助けて見事にこの海賊を撃退した。これが彼の出世の端緒で、宋の朝廷に登庸されて、遂に泉州の提擧市舶となつた。
『※[#「門<虫」、第3水準1−93−49]書』を始め支那の記録には、多くこの蒲壽庚の海寇撃退の事實を、南宋の度宗の咸淳十年(西暦一二七四)の頃の出來事と記してあるが、咸淳十年といへば、元の伯顏が宋の行在の臨安府を陷れる僅か二年前に當る。『宋史』瀛國公本紀の景炎元年(西暦一二七六)十一月の條に、
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蒲壽庚提[#二]擧泉州舶司[#一]。擅[#二]蕃舶利[#一]者三十年。
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