て「こざと」、第4水準2−91−67]婆離 Abu Mahmud Dawal ?
仁宗嘉祐中(西暦一〇五六―一〇六三) 蒲沙乙 Abu Said ?
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 アラブ人は已に述べた通り、唐の中世以後南洋を經て、盛んに支那に通商を營んだ。從つて南洋の樞要の地には、アラブ人の假寓したものが多かつた。中にも室利佛逝 〔C,ri^bho^dja〕 國は、東西兩洋の中間に在つて、當時貿易の繁昌した所で、アラブ人は之を訛つて Sarbaza 又は Serboza とも稱した。支那の記録に三佛齊とあるのは、この Sarbaza 又は Serboza の音譯らしい。南宋の趙汝※[#「しんにょう+舌」、第4水準2−89−87]の『諸蕃志』に、この國のことを記して、國人多[#二]姓蒲[#一]とあるのは、當時この國に假寓したアラブ商人のことを指した樣に想はれる。
 占城即ち占婆 Champa にも、アラブ商人が多く假寓して居つた樣である。占婆はアラブ人に Senf (Sanf) として知られて居る。Senf は勿論 Champa の音を訛つたものである。『宋史』外國傳に據ると、五代の周の世
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