庚の事蹟を調査するのに、彼の血統のことを傳へた第一の古い材料は、南宋の遺民の鄭所南の『心史』である。鄭所南は福建の人で、蒲壽庚と同時代の人である。この人は生涯元朝に反抗した人で、その詩文にも徹頭徹尾種族的排外思想を鼓吹してあるから、當時の官憲を憚り、之を鐵函に藏して、井中に埋沒して置いたのが、明末の崇禎十一年(西暦一六三八)になつて、世間に現れて來た。清朝時代には禁書となつて居つたが、その末期には支那志士の間に愛讀されて、種族革命説にかなり大なる影響を與へて居る。
 右の如き來歴の書物であるから、學者の中には『心史』の眞僞に就いて、疑を挾む者も尠くない。甚しきはその僞作たることを斷言した人もある。併し吾が輩がその内容に就いて研究した所では、僞作とは認め難い。當時の史料として、十分參考に供し得べき價値あるものと思ふ。
 鄭所南の『心史』には、蒲壽庚を蒲受畊に作つて、その祖は南蕃人なりと記してある。明末の何喬遠の『※[#「門<虫」、第3水準1−93−49]書』には、蒲壽庚の事蹟を一番詳細に記載してあるが、それには彼の祖先を西域人と認めて居る。或は南蕃人といひ、或は西域人といふ。何れにしても
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