かる永住の外國人が中國にて生んだ子を、當時土生蕃客と稱した。本題の蒲壽庚の如きも、多分この土生蕃客であらうと想像される。
三 廣州居留の蒲姓
愈※[#二の字点、1−2−22]本題に入つて蒲壽庚のことを申述べるのであるが、この蒲壽庚といふ人は、もと外國人で、南宋の末期に三十年間も、提擧市舶の職を務めて、巨大なる財産と勢力とを蓄へ、宋元鼎革の際にかなり重要なる關係をもつた人である。併し『宋史』にも『元史』にもその傳を載せてない。清の魏源の『元史新編』の目録には、二十九に平宋功臣列傳があつて、その中に蒲壽庚の名を列してあるけれども、肝心の本文にはその傳が缺けて居る。最近の出版に係る民國の柯劭※[#「文/心」、第3水準1−84−39]氏の『新元史』には、流石にその卷百七十七に、蒲壽庚の傳を收めてあるが、記事は極めて寥々たるもので、その外國人たることに就いては、一言隻句も述べてない。『宋史』殊に『元史』の記事中には、時々蒲壽庚の名が出て來るけれど、全く斷片的で、その人の經歴や血統を闡明すべく甚だ不十分である。從つて東西の學者間にも、この人の事蹟は、今日まで殆んど知られて居らぬ。
蒲壽
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