橇は、快く、雪の上を軽く辷《すべ》って、稍《やや》傾斜している道を下った。
 商人は、次の農家で、橇と馬の有無をたしかめ、それから玄関を奥へ這入って行った。
 そこでも、金はいくらでも出す、そう彼は持ちかけた。そこが纏《まとま》ると、又次へ橇を馳《は》せた。
 日本人への反感と、彼の腕と金とが行くさきざきで闘争をした。そして彼の腕と金はいつも相手をまるめこんだ。

       三

 橇は中隊の前へ乗りつけられた。馬が嘶《いなな》きあい、背でリンリン鈴が鳴った。
 各中隊は出動準備に忙殺されていた。しかし、大隊の炊事場では、準備にかえろうともせず、四五人の兵卒が、自分の思うままのことを話しあっていた。そこには豚の脂肪や、キャベツや、焦げたパン、腐敗した漬物《つけもの》の臭いなどが、まざり合って、充満していた。そこで働いている炊事当番の皮膚の中へまでも、それ等の臭いはしみこんでいるようだった。
「豚だって、鶏だってさ、徴発して来るのは俺達じゃないか。それでハムやベーコンは誰れが食うと思う。みんな将校が占領するんだ。――俺達はその悪い役目さ。」
 吉原は暖炉のそばでほざいていた。

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