の戦争が如何なる意義を持っていたかを説明する材料の一つとなり得るものであるが、当時の戦争文学には、田山花袋の「一兵卒」にも、際物的に簇出した戦争小説にも、勿論、桜井忠温の「肉弾」にもこれは反映しなかった。
 田山花袋の「一兵卒」は、作者の従軍中の観察と体験とからなったものである。明治四十一年一月の「早稲田文学」に現れた、花袋の代表作の一つであろう。日露戦争の遼陽攻撃の前に於ける兵站部《へいたんぶ》あたりの後方のことを取材している。戦地へいった一人の兵卒が病気のため、遼陽攻撃が始って全軍が花々しく進撃するうちに、一人だけ苦しみながら死んで行く有様を描いて、いわゆる「自然主義風」に人生の意義を語ろうとしたものである。
 作品のなかに兵卒が現れだしたのは、これよりさき大倉桃郎の「琵琶歌」にも見られるが、花袋は、もっとよく兵卒に即して、戦場を描いている。これは、日清戦争当時の独歩や蘆花が、士官若しくはそれ以上しか眼にうつらなかったのに比して、一段の進歩ということが出来る。そしてこの兵卒を書くということは、明治以後、大正、昭和の戦争文学または兵営の生活を書いた文学に、ますます多くなっている。勿論
前へ 次へ
全26ページ中17ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
黒島 伝治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング