日露戦争に到る間の当時の風潮に投合したのである。一九三一年満洲事変以後、軍事的傾向と気分が復活すると、「不如帰」が改作されて映画となって、再び出現したのもまた理由のないことではない。「不如帰」については、立入る必要はあるまい。

   第四章 日露戦争に関連して
        ─花袋の「一兵卒」、忠温の「肉弾」、龍之介の「将軍」

 日清戦争当時のブルジョアジーは、既に解放される階級ではなく、支配する階級、抑圧する階級として発展しつゝあった。十年後の日露戦争になると、それはます/\発展して、戦争は××××的性質を具備した。
 戦争開始前、「万朝報」によった幸徳秋水、堺利彦、黒岩涙香等は「非戦論」を戦わした。しかし、明治三十六年十月八日、露国の満洲撤兵第三期となった時、戦争はもはや到底避けられないことが明かになるや、黒岩涙香は主戦論に一変した。幸徳、堺は「万朝報」を退社し、「平民社」を創立した。そして、十一月十五日「平民新聞」第一号を発行した。これには、毎月欠かさず××の記事が掲載された。三十八年八月には、堺利彦の訳になるトルストイの日露戦争反対論が掲げられている。
 かゝる事実は、こ
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