#「すゞ」に傍点]が堪えきれないばかりでなく、俊や、おふくろまでが、心臓をドキリと打たれた。
 中津はひげ面のひげを青く剃り、稍々《やや》ちゞれる癖のある、ほこりをかむった渦まける髪をきれいに梳《くしけず》って、油の臭いをプンプンさしていた。
 終日家につかっていた。この馬賊上りの、殺人、強盗、強姦など、あらゆる罪悪を平気でやってのけた鬚づらの豪の者が、娘々したすゞ[#「すゞ」に傍点]に少なからず参っている有様は、実際不思議だった。彼は五十三の老人とは見えなかった。彼は、おぼこい二十歳の青年のように、少女の魅力に悩まされ切っているところがあった。

 ある朝、馬貫之《マクアンシ》の犬の『白白《ぺいぺい》』が火のついたように吠えた。
 幹太郎は、それで眼をさました。すゞが起きかけたようだった。
 犬は燃えるようなやかましさで吠えつゞけていた。暫くしてすゞは窓をあけに立った。と、緊張した足どりで、兄の枕頭へかえってきた。
「また、たアくさん、領事館から来ているよ。」
 彼女の声には、真剣さがあった。そして、どっかへ身をかくしてしまい度《た》そうだった。幹太郎は、はね起きた。
 周囲は、厳重
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