んだから、用事のないのに、そこへむやみに出入りしてはいけない。」
「はいッ!」
「それから、支那人の中には、よくない思想を抱いている奴があるかも知れない、それにも気を配って、大和魂を持っている吾々がそんな奴に赤化されては、勿論、いけない。そんなことがあっては日本軍人として面目がないぞ。」
「はいッ!」
 兵士達は、靴もぬがず、軍服もぬがず巻脚絆も解かず、たゞ、背嚢の枕に頭を落すと、そのまゝ深淵に引きずりこまれるように、執拗な睡眠の誘惑に打ちまかされてしまった。

     一七

 軍隊は、工場の寄宿舎の一と棟に泊まっただけだった。
 職工には、何等干渉しなかった!
 それは坂東少尉が注意した通りだった。
 隊長も、士官も、武士|気質《かたぎ》を持っていた。軍人が労資の対立にちょっかいを入れることを潔《いさぎよ》しとしなかった。
 それにも拘らず、軍隊が到着した、その日から、工人の怠業状態は、鞭を見せられた馬のように、もとの道へ引き戻されてしまった。
 監督と、把頭の威力は、以前に倍加した。
 下顎骨が腐蝕し、胴ぐるみの咳をする小山は、自分の背後に控えている強大な勢力を頼もしく意識した
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