失《なく》したんですか?」支配人が、騒ぎの方へ、ちょかちょかと馳せてきた。
「上衣が見ッからねえんですよ。多分、誰かゞ間違って着たんだ。俺の名前が書いてあるのに。」強《しい》て作ったような、意気地のない笑いを浮べた。中隊長は聞いて、聞かぬらしく苦々していた。
「チャンコロめ、かっぱらって行きやがったんじゃないんですかな。」と内川は云った。「さっき、このあたりで、ウロウロしていたじゃありませんか?」
 なるほどと、はッとした。
「ぼんやりすなよ。チャンコロに、来る早々から、軍衣をかッぱらわれたりして……そのざまはなんだ!」
「なか/\あいつらは、油断がならんですからな。」支配人は云ってきかすように愉快げに笑った。
 彼等は、到着した第一日から、支那人を殴る味を覚えてしまった。
 貧民窟から、二人の支那人が引っぱって来られると、上川は、それによって、焦慮と、憤怒と、冷かされた鬱憤を慰めるものゝように、拳を振りあげて支那人に躍りかゝった。あとから、ほかの兵士達も、つゞいて二人の乞食の上に、なだれかゝった。殴ったり、踏んだり、蹴ったり、日本語で毒づいたり。しかし、いくら、どんなことをやったって
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