向にまよいこんでしまう。ということを、佐左木俊郎を見る時、痛切に感じるのである。
――「成程今までの我々の農民文学は、日本農業の特殊性をさながらの姿で写しとった。それは、農林省の『本邦農業要覧』にあらわれた数字よりも、もっと正確に日本農民の生活を描きだしていた。けれども、それだけに止っていた。」とナップ三月号で池田寿夫はいっている。確に、それはその通り、それだけに止っていた[#「それだけに止っていた」に傍点]のである。農林省の「本邦農業要覧」よりは正確に農民の生活を描きだしてはいるだろう。けれども、決して、これまでの日本の農民生活を、十分にその特殊性において、さま/″\な姿で描き得ていると自負することは出来ない。凡《およそ》、事実は反対に近い。むしろ、払われた努力があまりにすくなかった。農民の生活は従来、文学に取りあげられた以上にもっと複雑であり、特殊性に富み、濃淡、さまざまな多様性と変化を持っている。あの精到を極めた写実的な「土」でさえ、四国地方に育った者や、九州地方に育った者が、自分の眼で見、肉体で感じた農村と、「土」の農村とを思いくらべて異っていることに気づく。「土」には極めて
前へ
次へ
全9ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
黒島 伝治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング