僅のことが精細に書かれているにすぎないことを感じるのである。日本人がロシア文学を読んで感じる遠さも、そこにある。これは、一つには地理的関係が原因しているのだろう。それだけ、我々が農民文学の諸問題をプロレタリアートの立場から解決するにあたって、困難さがより多くあるといわなければならない。それだけやりがい[#「がい」に傍点]もある。プロレタリア文学には、ブルジョア文学が、農民には、ほとんど眼も呉れずに素通りしてしまった、そういうことは絶対に許されないのである。
我々は過去の農民生活についても、十分な結びつきが決してなされていなかったし、体験や知識も豊富でなかった。殊に、現在の、深刻な農業恐慌の下で、負担のやり場を両肩におッかぶせられて餓死しないのがむしろ不思議な農民の生活、合法無産政党を以て労農提携の問題をごま[#「ごま」に傍点]化し去ろうとする社会民主主義者共の偽まん[#「まん」に傍点]を突破して真に階級性を持った提携に向って進んでいる貧農大衆の闘争等については、まだ全くわれ/\の文学に反映さしてはいない。
しかし、この問題の解決に、われわれは、現在の幾人かの作家が闘争の現実に馳け足
前へ
次へ
全9ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
黒島 伝治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング