い。題材として、そのものを取りあげないということは、そのものに対する無関心を意味する。
 大正十三年か十四年頃であったと思う。吉江喬松、中村星湖、加藤武雄、犬田|卯《しげる》等がそれまでの都市文学に反抗していわゆる農民文学を標ぼうした農民文学会をおこした。月々例会を持った。会員は恐らく二三十人もいたであろう。しかし、そこから農民を扱って文学的に実を結んだのは佐左木俊郎一人きりであった。佐左木俊郎はいわゆる農民作家らしい農民作家である。農民の生活を知っている。極めて農民的な自然な姿において表現する。が、あれだけ農民、農村を知りながら、かくまで農民が非人間的な生活に突き落され、さまざまな悲劇喜劇が展開する、そのよってくる真の根拠がどこにあるかを突きつめて究明し、摘発することが出来ないのは、反都市文学のらち内から少しも出なかった農民文学会の系統を引いた作家的立場に原因していると思う。現在では、作家個人として労働者農民に関するどういう委しい知識、経験を持っていようとも、階級的な組織の中で訓練されなければ、生きた姿において正しく、それを認識し表現することが出来なくなり大衆現実から取残されて変な方
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