漂って来た。
「市三! 市三!」
 跛《びっこ》の親爺は呼びつゞけた。が、そこからは呻きも叫びも何等聞えなかった。
「市三! 市三!……これゃどうしたってあかん!」
 松ツァンの声は、薄暗い洞窟に、悲痛なひゞきを伝えた。井村は面《おもて》をそむけた。
 腥い臭気は一層はげしくなって来た。
「あ、弥助爺さんだ。」
 落盤を気づかっていた爺さんが文字通りスルメのように頭蓋骨も、骨盤も、板になって引っぱり出された。
 うしろの闇の中で待っていたその娘は、急にへしゃげてしまった親爺の屍体によりかゝって泣き出した。
「泣くでない。泣くでない。泣いたって今更仕様がねえ。」
 武松が、屍体に涙がかゝっては悪いと思いながら、娘の肩を持ってうしろへ引っぱった。
「泣くでない。」
 しかし、そう云いながら、自分も涙ぐんでいた。それから、又、一人の坑夫が引っぱり出された。へしゃがれた蟹のように、骨がボロ/\に砕けていた。担架に移す時、バラバラ落ちそうになった。
 彼等は、空腹も疲労も忘れていた。夜か昼か、それも分らなかった。仲間を掘り出すのに一生懸命だった。
 二人、三人と、掘り出されるに従って、椀のような
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