ましやかな、悲しげな表情を浮べて十字を切った。
「あいつは、ええ若いものだったんだ!……可憐《かわい》そうなこった!」
 老人は、十字を切って、やわい階段をおりて行った。おりて行きながら彼は口の中でなお、「可憐そうなこった、可憐そうなこった!」とくりかえした。
 老人はウォルコフが乗りすてた栗毛の鞍やあぶみを外して、厩《うまや》の方へ引いて行った。
 ウォルコフは、食堂兼客間になっている室と、寝室とを通りぬけて、奥まった物置きへつれて行かれた。そこは、空気が淀《よど》んで床下の穴倉から、湿気と、貯えられた葱《ねぎ》や馬鈴薯の匂いが板蓋《いたぶた》の隙間《すきま》からすうっと伝い上って来た。彼は、肩から銃をおろし、剣を取り、羊皮の帽子も、袖に星のついた上衣も乗馬靴もすっかりぬぎ捨ててしまった。ユーブカをつけた女は、次の室から、爺さんの百姓服を持ってきた。
 ウォルコフは、その百姓服に着換え、自分が馬上で纏《まと》っていた軍服や、銃を床下の穴倉へかくしてしまった。木蓋の上へは燕麦《えんばく》の這入った袋を持ってきて積み重ね、穴倉があることを分らなくした。
 豆をはぜらすような鉄砲の音が次第
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