尉に鼓膜を叩き破られた兄を持っていた。何等償われることなしに兄は帰休になって、今は小作をやっている。入営前大阪へ出て、金をかけて兄は速記術を習得したのであった。それを兄は、耳が聞えなくなったため放棄しなければならなかった。上等兵は、ここで自分までも上官の命令に従わなくって不具者にされるか、或は弾丸《たま》で負傷するか、殺されるか、――したならば、年がよってなお山伐りをして暮しを立てている親爺がどんなにがっかりするだろうか、そのことを思った。――老衰した親爺の顔が見えるような気がした。
けれども彼は、煙の中を逃げ出して来る短衣やキャラコも、子供や親があることを考えた。彼等も、耕すか、家畜を飼うかして、口を糊《のり》しているのだ。上等兵はそういうことを考えた。――同様に悲しむ親や子供を持っているのだ。
こんなことをして彼等を撃ち、家を焼いたところで、自分には何にも利益がありやしないのだ。
流れて来る煙に巻かれながら、また、百姓や女や、老人達がやって来た。
上等兵は、機関銃のねらいをきめる役目をしていた。彼は、機関銃のつつさきを最大限度に空の方へねじ向けた。
弾丸は、坂を馳せ登って
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