らか、タンタンタンという珍しい音が、夜のしじまを破って聞えて来たので、館の妻は不審がって、
「あら不思議や何やらんあなたにあって物音のきこえ候。あれは何にて候ぞ」
「あれは里人の砧《きぬた》擣《う》つ音にて候」
「げにや我が身の憂《う》きままに、古事《ふるごと》の思ひ出でられて候ぞや。唐《もろこし》に蘇武といひし人、胡国とやらんに捨て置かれしに、故郷に留《とど》め置きし妻や子、夜寒の寝覚を思ひやり、高楼に上つて砧を擣《う》つ。志《こころざし》の末通りけるか、万里の外なる蘇武が旅寝に故郷の砧きこえしとなり。妾《わらは》も思ひ慰むと、とてもさみしきくれはとり、綾の衣を砧にうちて心慰まばやと思ひ候」
「いや砧などは賤しきものゝ業にてこそ候へ、さりながら御心慰めん為にて候はゞ、砧をこしらへてまゐらせ候べし」
 このような問答のすえに、館の妻は京の都の夫の胸へひびけよと、怨みの砧に愛情をこめてタンタンタンタンと擣つのですが、その想いが遂には火となり、その霊は夫のもとへ飛ぶのであります。私はこの館の妻の夫を想う貞節の姿を「砧」の絵の中に写しとってみたのであります。

 想いを内にうちにと秘めて、地
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