、無限の表情が流露《りゅうろ》して尽くるところがありません。
◇
能楽からくる感銘はいろいろです。単なる動作や進退の妙というだけのものではなく、衣裳の古雅荘厳さや、肉声、器声の音律や、歴史、伝説、追憶、回想、そういうものが舞う人の妙技と合致して成立つものですが、殊にこの能楽というものは、泣く、笑う、歓喜する、憂い、歎ずる、すべてのことが決して露骨でなく、典雅なうちに沈んだ光沢があり、それが溢れずに緊張するというところに、思い深い、奥床しい感激があるのです。
感ずれば激し、思うだけのことを発露するという西洋風な表現のしかたも、芸術の一面ではあろうと思いますが、能楽の沈潜した感激は哲学的だと言いましょうか、そこに何物も達しがたい高い芸術的な匂いが含蓄《がんちく》されてあると思います。こういう点で能楽こそは、真の国粋を誇りうる芸術だといえましょう。
◇
私は、その名人芸を見る度毎に、精神的な感動を受けます。どうしてこうも神秘なのであろう、こういう姿をした、こういう別な世界は、果たしてあるのであろうか、無いようでありながら、たしかに此処に現われている、といっ
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