名人達人の作になるものなど、まるで生きている人間の魂が、そこに潜んでいるのかと想われるほどの[#「想われるほどの」は底本では「想われほどの」]ものです。
そのすぐれた面を着けて、最もすぐれた名人があの舞台に立つと、顔上《がんじょう》面《めん》なく、面裡《めんり》人なしとでも申しましょうか、その面と人とが精神も肉身も合致合体、全く一つのものに化してしまって、さながらに厳然たる人格と心格を築き出します。この境涯は筆紙言舌の限りではありません。
この境涯では、人が面を着けているなどいう、そんな浅間《あさま》な感情などは毛筋ほども働いていません。
よく能面の表情は固定していて、死んだ表情であり、無表情というにひとしいなどと素人の人たちがいうのですが、それは能楽にも仕舞にも何等の徹底した鑑賞心をもって居らないからの言葉でありまして、名人の場合など、なかなかそんな批点《ひてん》の打ちどころなどあるものではありません。
無表情と言いますが、名人がその面をつけて舞台に立ちますと、その無表情な面に無限な表情を発します。悲しみ、ほほえみ、喜び、憂い、その場その場により、その時その時に従って
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